韓国語の「言語学習とウェルビーイング」。辻野裕紀の声で楽しむ「もうひとつのまなざし」

この記事では、『韓国語学習ジャーナルhana Vol. 53』辻野裕紀の連載コラム「もうひとつのまなざし」(P.023)の内容を、さらに深掘りした音声コンテンツの内容を掲載しています。ぜひ本誌のコラムと合わせてお楽しみください。

声で楽しむ「もうひとつのまなざし」

皆さん、こんにちは。辻野裕紀です。ご機嫌いかがでしょうか?

前回は「周辺に宿る知の可能性」というタイトルで、「韓国語学習=韓国語の習得」という狭隘(きょうあい)な図式から脱皮し、悠然とした構えでさまざまなことを吸収しようとすることの重要性について語りました。

これは自らの専門分野に内閉しようとする大学院生や研究者が多い昨今の学界に対する私の違和感にも接続する問題です。

「これは自分の専門である」「これは自分の専門ではない」と対象を画然と切り分けようとするマインドセットは、「韓国語学習=韓国語の習得」という思考とどこか通ずるところがあるように思います。

チャールズ・パーシー・スノーという、イギリスの物理学者でもあり小説家でもあった人は、〈文学に造詣の深い知識人の文化〉と〈自然科学者の文化〉の間に見られる深刻な相互不信と無理解を指摘しています(『二つの文化と科学革命』、C・P・スノー、松井巻之助訳、みすず書房)。

文学的知識人は熱力学の第二法則を知らず、科学者はシェイクスピアを知らない。

こうした人文科学と自然科学という〈二つの文化〉の分断をスノーは難じたわけですが、この(たぐい)の断絶は実はもっとミクロな次元でも観察されます。

例えば、「言語学の文化」と「文学の文化」。あるいは「言語学の文化」と「言語教育の文化」。

一般の方からするとどれも関連のある似たようなものに見えるでしょうし、私の感覚でもこれらはすべて連続的なのですが、現実のアカデミアにおいては埋めがたい「文化のクレバス」が存在します。

『二つの文化と科学革命』(C・P・スノー、松井巻之助訳、みすず書房)

第3回「言語学習とウェルビーイング」

ところで、最近「ウェルビーイング」という語をよく耳にするようになりました。「身体的・精神的・社会的に良好な状態」といった意味で使用されることが多いタームですが、衆目の一致を見る厳密な定義は今のところないようです。

なぜかと言うと、「良好な状態」というのは、個人や文化、時代などによってその感覚が異なり、個人の中でさえ動的に変容するからです。

またウェルビーイングそれ自体は実体を持たない「構成概念」ですので、その抽象性ゆえ分かるようで分からないと感じている方も多いと思います。

ここではその人にとっての「よい生の在り方」「満ち足りた状態」がウェルビーイングであると、ごく大雑把にその言意を定めておくことにしましょう。

言語学習はウェルビーイングの向上に資する

なぜこの連載コラムでウェルビーイングについて触れるのか。

それは言語学習がウェルビーイングの向上に資する営みだと思量されるからです。

従来の臨床心理学においては主に人間のネガティブな側面に焦点が当てられていましたが、そうした傾向への反措定=アンチテーゼとして、人間の強みや長所などの解明と開発を目指す〈ポジティブ心理学〉という分野が20世紀末から注目を浴びるようになりました。

その(らん)(しょう)は、人間性心理学の鼻祖アブラハム・マズローの1954年の著作にまで()(きゅう)しますが、ウェルビーイングを核心的な研究テーマとする現在のポジティブ心理学の台頭は比較的最近のことと言ってよいでしょう。

ウェルビーイングに影響を与える心理的要因については、これまで幾多の研究がなされており、いくつもの理論が提出されてきましたが、分けてもよく知られたものとして、ポジティブ心理学の泰斗マーティン・セリグマンが提唱した〈PERMA(パーマ)理論〉があります。

この理論においては、「ポジティブ感情(Positive Emotion)」「エンゲージメント=没頭(Engagement)」「関係性(Relationships)」「意味・意義(Meaning)」「達成(Achievement)」の5つがウェルビーイングの要素として定位されており(『ポジティブ心理学の挑戦:“幸福”から“持続的幸福”へ』、マーティン・セリグマン、宇野カオリ監訳、ディスカヴァー・トゥエンティワン、pp.33-44)、れらはいずれも言語学習と連結させ得るものだと私は考えています。

例えば、知らなかったことを知った際の興奮、聴き取れなかった言語が聴き取れるようになった時の(き)(えつ)、好きな言語を学べることの幸福感などはすべてポジティブ感情です。

そして、ポジティブ感情はレジリエンスや自己効力感(アルバート・バンデューラ)を高めることにも繋がり、学習を継続するためのエネルギーが得られるという好循環を生みます。念のために補足すると、レジリエンスとはストレスを撥ね返し困難から回復する力、自己効力感とは「自分ならできる」という自身の目標遂行可能性への信頼のことだと私は理解しています。

勉強に過集中し時間が経つのも忘れるような体験(忘我)はエンゲージメント=没頭であり、これはミハイ・チクセントミハイの言う〈フロー〉の概念とも(ふん)(ふんごう)します。

フローには階調があり、ゾーンに入ったアスリートのような状態に達するのは難しくとも、「弱いフロー」ならば日々の学びでも経験することができます。

皆さんも、韓国語で書かれた書物を辞書を引き引き一生懸命読んでいたらいつの間にか半日が過ぎていたなどといった至福を味わったことがあるのではないでしょうか。これがまさに〈没頭的幸福〉です。

また、言語学習は新たな人間関係をもたらしてくれます。最近の幸福研究では、友達は数よりも多様性が重要だと言われていて、幸福度を上昇させるには非均質的な交友関係を持つことが有効です。

そして、言語学習を通して私たちは日頃出会わないようなさまざまな人々と知り合うことができます。

韓国語学習であれば、韓国語の母語話者は(もと)より、韓国語に興味があるというたった一点のみで、いろいろな年齢や性別、職業の人たちと繋がることが可能なんですね。

「人生は出会いで決まる」とは哲学者のマルティン・ブーバーの有名なことばですが、言語学習の先には良質な出会いが待っているものです。そこからいかに良好な関係性を構築していくかはその人次第ですが、少なくとも言語学習はそのきっかけを作ってくれます。

もちろん、臨床心理学者シェリー・タークルの一連の著作からも明らかなように、テクノロジーの発達した現代社会=常時接続社会における「繋がり」はなかなか厄介なものでもあり(『一緒にいてもスマホ:SNSとFTF』、日暮雅通訳、青土社; 『つながっているのに孤独:人生を豊かにするはずのインターネットの正体』、渡会圭子訳、ダイヤモンド社)、人と繋がりさえすればいいというわけでは決してありませんが、「繋がり方」に注意しつついろいろな人と交わることで毎日がカラフルになっていくのは確かだと思います。

また、多様な人々と(こう)(こうぎ)を結ぶことで〈わたし〉の範囲が拡がることもあるでしょう。ウェルビーイング研究では〈われわれ〉としての自己をSelf-as-Weと称したりもしますが、そうした自己の拡張や〈配慮範囲〉の広さ(認知的焦点化理論)、利他的な精神もウェルビーイングに寄与するものと思われます。

さらに、言語学習は人生の生きがいになり得る行為であり、やや大仰な言い方かもしれませんが、言語学習に生きる意味を見出すことも可能かもしれません。実際に私の周りにはそういう方々が大勢おられます。私にとっても、対象は言語だけではありませんが、何かを学ぶこと、知ることは人生の生きがいであり、「何のために生きているのか」という問いに対する答えのひとつです。

そして、着実に学びを進めていくことで達成感が得られることは言を()ちません。

このように、言語学習というのは、私たちの人生を「よりよい状態」「充足した時空」にしてくれる潜在性を大いに有しています

これは一時的な快楽とは異なり、持続的な幸福=フラーリッシングと言えます。言語学習に限らず、内発性に動機付けられた学びはその客体が何であれ、ウェルビーイングの向上に裨益(ひえき)するものと推考されますが、言語学習では、私の経験上、とりわけ「人との繋がり」や「達成感」などをより強く感じやすいように思います。

挫折を乗り越える鍵は〈首尾一貫感覚〉にある

一方で、言語学習はなかなか順調には進まないもので、いつも「ポジティブな状態」であることは不可能だと反駁したくなる方もいると思います。勉強が思うように(はかど)らないとポジティブ感情はネガティブ感情に反転しますし、没頭や達成感からも遠ざかります。

今回は心理学や精神医学の視座から言語学習を考察していますので、斯界のもうひとつ面白い知見を紹介しましょう。〈健康生成論(salutogenesis)〉と呼ばれる考え方(〈疾病生成論(pathogenesis)〉と対になる思考)を提唱した医療社会学者のアーロン・アントノフスキーの〈首尾一貫感覚(SOC:Sense of Coherence)〉という概念です。

これはアウシュビッツからの帰還者たちの健康状態への関心から出立した研究の成果であり、強烈なストレッサーに晒されながらも健康に生き延びた人たちが共通して持つストレス対処能力をアントノフスキーはそう名付けました。

首尾一貫感覚は「把握可能感(comprehensibility)」「処理可能感(manageability)」「有意味感(meaningfulness)」という3つの要素から成るとされます。

把握可能感とは「自分の内外で生じる環境刺激は、秩序づけられた、予測と説明が可能なものであるという確信」、処理可能感とは「その刺激がもたらす要求に対応するための資源はいつでも得られるという確信」、有意味感とは「そうした要求は挑戦であり、心身を投入しかかわるに値するという確信」のことです(『健康の謎を解く:ストレス対処と健康保持のメカニズム』、アーロン・アントノフスキー、山崎喜比古・吉井清子監訳、有信堂、pp.20-23)。

このような文脈で「意味」と言うと、〈意味への意志〉というキーワードで知られるロゴセラピーおよび実存分析の創始者ヴィクトール・E・フランクルを想起する方もいると思いますが、実際にアントノフスキーの「有意味感」という名称はフランクルの研究の影響を受けているそうです(前掲書p.23)。

アントノフスキーの首尾一貫感覚の定義はやや難しく聞こえるかもしれませんが、私なりにパラフレーズすると、自分の置かれた状況を正しく理解して、問題を適切に統制、処理できるという自信があり、さらにそれには意味があるのだという確信を持っているということになるでしょう。

こうしたメンタリティの持ち主はストレスに強く、コーピングスキルが高いと言われるわけですが、考えてみると、言語学習のプロセスにおいてもこのような感覚がとても大事なのではないかと思います。

自分が何に(つまず)いているのか、何が分からないのかを正確に把握できているという感覚、学習が行き詰っても必ず解決できるという感覚、このスランプやプラトーには自身の成長にとって必要で意味があると信じられる感覚。かかる感覚を内面化している人は言語学習における挫折を克服する力も強いと想像されます。

首尾一貫感覚はあくまでも主観的な「確信」ですので、根拠は必ずしも必要なく、そう思えるということが肝要です。

さらに、首尾一貫感覚とともに論じられる重要な概念として、〈汎抵抗資源(GRRs:Generalized Resistance Resources)〉というのもあります。ごく簡単に言えば、ストレッサーに抗するためのリソースのことで、アントノフスキーはその例として金銭や自我の強さ、文化的な安定性、社会的な支援などを挙げています(前掲書p.xix)。首尾一貫感覚はこうした汎抵抗資源を動員してストレス対処を試み、その成功体験が首尾一貫感覚をより強化していきます。

言語学習においては、例えば、真に信頼できる教師や気軽に質問できる母語話者の友達、いつでも励まし合える仲間、使い慣れた辞書や教科書などが「汎抵抗資源的な存在」として機能するものと思われます。

複言語話者は認知症の発症が遅い

最後に、言語学習と老後のウェルビーイングの関係についても触れておきましょう。言語には他者との意思疎通という役割もありますが、神経科学の観点から照射すると、脳内の神経ネットワークを拡大するという役割があります

そのためか、複言語話者の脳は、前頭部の(かい)(はく)(かいはくしつ)(神経細胞の細胞体が集合している領域)が普通よりも肥厚しており、また複数の言語を話すことによって、加齢による灰白質の量と白質の統合度の低下も遅らせることができるということが報告されています。

さらに面白いことに、複言語使用は、脳の構造や組織のみならず、細胞の化学物質濃度や代謝物濃度にも直接的な影響を与えるそうです。

そしてそれに関連して、複数の言語ができることは、いわゆる「認知予備能」を強化し、アルツハイマー型認知症やその他の認知症の発症を平均して4年から6年遅らせることを示した研究もあります。

要するに、仮に認知症に罹患しても、複言語話者の脳内には器質的病変を補う多くのネットワークがあるために、認知機能低下が顕在化しにくいということです。(『言語の力:「思考・価値観・感情」なぜ新しい言語を持つと世界が変わるのか?』、ビオリカ・マリアン、今井むつみ監訳・解説、桜田直美訳、KADOKAWA、pp.95-123)

かように、複言語使用と脳の構造・機能には密接な関わりがあり、言語学習は老境のウェルビーイングにも良性の影響を及ぼすと言えそうです。

こうした研究はまだ発展途上にあり、断定的に述べることが困難であったり、(こう)(こうこう)(こう)を俟たねばならない課題も多くありますが、それでも若い頃からの複言語使用が晩年の認知症予防や延いてはウェルビーイングの向上に奏効する可能性を示唆する研究結果がいくつも発表されていることは、韓国語を学んでおられる皆さんにとって朗報ではないでしょうか。

()(ぎょう)()のQOLを高め、より満ち足りた状態にしていくためにも、言語学習は極めて大きな意味のある営為なのです。

ということで、今回は言語学習をウェルビーイングや幸福、健康、予防医学といった領野と結び付けて概観してきました。いかがでしたでしょうか。

やや牽強付会ぎみに感じられるところもあったかもしれませんが、「言語学習とウェルビーイング」という主題はもっともっと学術的に講究されるべきものだと愚考します。

他にもこのテーマと関連するトピックとしては、例えば「推し活とウェルビーイングの関係」や、感情心理学者リサ・フェルドマン・バレットの「情動粒度」などがあります。そういった論件については、今年7月に出版された『韓国語セカイを生きる 韓国語セカイで生きる:AI時代に「ことば」ではたらく12人』という本の中に収められている拙論「逃避と幸福の言語論」で言及しましたので、ぜひご覧ください。

また、私自身が感じる「韓国語が読めることの幸せ」については、同じく7月に刊行された『NEUTRAL COLORS』という雑誌の第5号所収の私の自伝的エッセイ「選ばなかった道たち:それでも言語の探究を」で触れていますので、そちらもお読みいただければ嬉しいです。

それでは、またお目にかかりましょう。辻野裕紀でした。

(参考文献:本文中に明示したもの以外)
石川善樹(2017)『仕事はうかつに始めるな:働く人のための集中力マネジメント講座』、プレジデント社
加藤敏他編集委員(2016)『縮刷版 現代精神医学事典』、弘文堂
斎藤環(2016)『人間にとって健康とは何か』、PHP研究所
下山晴彦編集代表(2014)『誠信 心理学辞典[新版]』、誠信書房
藤井聡(2011)「解明!運がない人は、なぜ運がないのか」、『プレジデントプラス 運をつかむ習慣』、プレジデント社
前野隆司(2013)『幸せのメカニズム:実践・幸福学入門』、講談社
渡邊淳司、ドミニク・チェン(2023)『ウェルビーイングのつくりかた:「わたし」と「わたしたち」をつなぐデザインガイド』、ビー・エヌ・エヌ

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