1980年代に入ると、2人の大歌手が活動禁止期間を終え、見事な復活を遂げます。また従来の恨や別れの悲しみなどの情緒を歌うのとは異なり、明るいアップテンポのトロット曲も現れるようになります。
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80年代を代表するスーパースター、チョー・ヨンピル
80年、芸能界の麻薬事件に関与し活動を停止していた조용필(チョー・ヨンピル)が、「돌아와요 부상항에(釜山港ヘ帰れ)」を含むファーストアルバムを発表し、大ヒットを収めます。
彼はもともとカントリーやロックのバンドで活動していて、ソロに転じてトロットの「釜山港へ帰れ」を歌うに至った多彩な音楽性の持ち主です。
聞く人の心を揺さぶるバラード曲でありトロット曲でもある「창밖의 여자(窓の外の女)」、軽快なダンス曲「단발머리(おかっぱ頭)」、韓国民謡の「한 오백년(恨五百年)」、ロックンロールの名曲「여행을 떠나요(旅に出よう)」と、幅広いジャンルの音楽を歌い、80年代の大衆音楽界を代表する存在になりました。
チョー・ヨンピル「창밖의 여자(窓の外の女)」
チョー・ヨンピル「단발머리(おかっぱ頭)」
悲劇からの再起を果たしたシム・スボン
79年10月に朴正煕射殺事件に同席していたことによって新軍部の捜査を受け、放送への出演が禁止された심수봉(シム・スボン)。84年に出演禁止処分が解けると、「남자는 배 여자는 항구(男は船 女は港)」で復活を果たしました。
シム・スボン「남자는 배 여자는 항구」
87年には「사랑밖엔 난 몰라(愛以外に私は知らない)」もヒットさせました。これら2曲はいずれも彼女自身による作詞作曲です。
シム・スボン「사랑밖에 난 몰라(愛以外に私は知らない)」
明るく軽快なトロット
80年代の後半に入ると、恨や別れの哀しみなどを歌った従来のトロットとは異なる、明るく軽快なトロット曲が現れます。
84年に김수희(キム・スヒ)が歌い大ヒットした「남행열차(南行列車)」はその1つ。アップテンポのこの曲は光州を本拠地とするプロ野球球団KIA 타이거즈(起亜タイガース)の応援歌として有名です。
キム・スヒ「남행열차」
次々登場した本格派歌手、キム・ヨンジャ、チュ・ヒョンミ、ムン・ヒオク
昔は韓国の高速道路の売店をのぞくと、뽕짝(ポンチャック)と呼ばれるトロットのメドレー集が売られていましたが、김연자(キム・ヨンジャ)はそのはしりともいえる『노래의 꽃다발(歌の花束)』で人気を得ました。このシリーズの3集はなんと360万枚を売り上げたといいます。
その後、84年に「수은등(水銀灯)」、88年にソウルオリンピック公式ソングの「아침의 나라에서(朝の国から)」などを歌った後、活動の舞台を日本に移し、89年にはNHK紅白歌合戦に初出場しました。
キム・ヨンジャ「아침의 나라에서(朝の国から)」
주현미(チュ・ヒョンミ)はルーツを華僑に持つ歌手。メドレー集の歌手として84年にデビューし、その後の「비내리는 영동교」「신사동 그 사람」などで韓国を代表するトロット歌手の一人となりました。
チュ・ヒョンミ「비내리는 영동교(雨降る永東橋)」
문희옥(ムン・ヒオク)も、高校3年生だった87年に地方の方言で歌ったメドレー集でデビュー。その後「사랑의 거리(愛の街)」「성은 김이요(姓はキムです)」などを歌い、今では이미자(イ・ミジャ)、キム・ヨンジャ、チュ・ヒョンミの後を継ぐ、正統派のトロット歌手と目されています。