1987年の民主化、1988年のソウル・オリンピック開催を経て、韓国は1990年代に急激な経済成長を成し遂げるとともに、本格的な消費社会へと突入しました。音楽産業も、1997年のIMF危機を迎えるまで、量的・質的に成長し、多様化が進みました。
本連載の1回目では、1990年代に韓国で絶大な人気を誇った서태지와 아이들(ソテジワ アイドゥル)について書きましたが、1996年のグループ解散後、ソロアーティストの道を歩んだ서태지(ソ・テジ)に対し、양현석(ヤン・ヒョンソク)と이주노(イ・ジュノ)はプロデューサーとして、アーティストを送り出す側に転身します。
今回は、この2人が1990年代後半に歌謡界に送り込んだアーティストについて見てみます。
イ・ジュノの秘蔵っ子たち、ヨントクスクラブ
まず、イ・ジュノは、自ら発掘し育てた男女5人のグループ영턱스클럽(ヨントクスクラブ、Young Turks Club)をプロデュースします。
ヨントクスクラブは、1996年のデビューアルバムから、すぐさま情緒たっぷりのヒップホップ曲「정(情)」をヒットさせます。
続く2集からも「타인(他人)」などがヒット。
しかしメンバーの交代などもあり、グループは次第に勢いをなくします。
イ・ジュノ自身も、その後送り出した歌手やグループで大きな成功は得られず、事業の失敗やゴシップなどの自身の問題により、次第に歌謡界からフェードアウトすることになります。
出だしでつまずいたヤン・ヒョンソクの窮地を救ったジヌション
一方のヤン・ヒョンソクは、最初に手掛けたグループが売れず失敗しますが、起死回生を期して1997年に지누(ジヌ)と션(ショーン)の2人からなる지누션(ジヌション)をプロデュースします。
ジヌとショーンは、いずれも韓国系米国人。デビュー「가솔린(ガソリン)」で本場仕込みのラップを披露します。
続けて엄정화(オム・ジョンファ)をゲストボーカルに加えた「말해줘(言ってくれ)」も大ヒット。
このジヌションのヒットによりヤン・ヒョンソクは窮地から救われます。
実力派4人組ヒップホップグループ1TYM
さらにヤン・ヒョンソクは、1998年に1TYM(원타임=ワンタイム)をデビューさせます。実力派4人組ヒップホップグループながら、ジヌションに比べて若干アイドル寄りで売り出した1TYMも「One Love」「어머니(母)」などがヒット。
こうして会社を軌道に乗せたヤン・ヒョンソクは社名をYG Entertainment(YGエンターティンメント)に変更し、2000年代以降、BIGBANGや2NE1、WINNER、iKON、さらにはBLACKPINK、TREASUREなどのK-POPグループを育てます。
ジヌションはその功績が認められてか、公式にYGグループの第1号アーティストと呼ばれています。
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