韓国人の喜怒哀楽を表現した大衆音楽として、多くの人に愛されている트로트(トロット)。
この「トロット」というジャンル名は、70年代以降から使われ始めました。フォークやロックが若者の音楽としてはやるようになり、従来の大衆歌謡や流行曲をこれらの新しい音楽と区別してトロットと呼ぶようになったといわれています。
そういうことから今では、70年代より前の歌謡もトロットと呼ぶことが多いのです。3回目の今回はそんな1960年代の流行歌について見てみます。
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「エレジーの女王」李美子
60年代に入ると「엘레지의 여왕(エレジーの女王)」이미자(李美子)が「동백 아가씨(椿娘)」「섬마을 선생님(島の村の先生)」「기러기 아빠(雁の父さん)」などを立て続けにヒットさせ、最盛期を迎えます。
李美子「동백 아가씨(椿娘)」
李美子「기러기 아빠(雁の父さん)」
彼女の歌は「歌い方が日本風」との理由で発禁処分を受けることもありましたが、その人気は陰ることがなく、多くの曲が60年代の韓国歌謡を代表する曲として歌い継がれています。
パティ・キムと吉屋潤
この時代に活躍したもう1人の女性歌手が패티김(パティ・キム)です。
米国で歌手としての経歴を積んだ彼女は、日本でジャズミュージシャンとして活動していた길옥윤(吉屋潤)と韓国で出会い結婚。彼の作による「사랑하는 마리아(いとしのマリア)」「1990년(1990年)」、そしてソウル市の歌として採用された「서울의 찬가(ソウル賛歌)」などを発表しました。その後2人は名曲「이별(離別)」を発表して離婚します。
パティ・キム「사랑하는 마리아(いとしのマリア)」
パティ・キム「서울의 찬가(ソウル賛歌)」
パティ・キム「이별(離別)」
南珍、羅勲児、そして裵湖
60年代後半には、男性歌手남진(南珍)と나훈아(羅勲児)が登場し人気を集めます。
南珍は「가슴 아프게(カスマプゲ)」「미워도 다시 한 번(憎くてももう一度 )」、羅勲児は「사랑은 눈물의 씨앗(愛は泪のたね)」「고향역(故郷の駅)」と、競い合うようにヒットを飛ばし、世の人気を二分しました。
南珍「가슴 아프게(カスマプゲ)」
羅勲児「고향역(故郷の駅)」
韓国ではこの2人にさらに배호(裵湖)を加えた3人を「남성 트로이카(男性トロイカ)」と呼ぶこともあります。
裵湖は「돌아가는 삼각지(帰る三角地)」「안개낀 장충단공원(霧のかかった奨忠壇公園)」という名曲を残し、71年に20代後半の若さでこの世を去りました。